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Author:海(♂) カテゴリー
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第646回「2009年の目標」
来年=2009年の目標は・・・・ 「飛躍」です。 僕にとって今年=2008年は雌伏の一年でしたから・・・ 来年は大いに飛躍し、はばたきたいと密かに思っています。 さて、まじめに今年もあとわずかとなりました。 こんなブログでもちょこちょこ覗いてくださった皆さん・・・ 本当にありがとうございました・・・(o^o^o)あ(o^-^o)り(o^o^o) が(o^O^o)と(o^.^o)う じゃあ、よいお年を・・・・ See you next year! 去年の今日 アクセス解析で振り返る2008年 (今日のテーマ)BlogPet 今日のテーマ アクセス解析で振り返る2008年 12月限定で拾ってみたら・・・ こんな感じでした!^^ 1 貸切露天風呂 エッチ 5 2 壊れた時計は 外しちまえよ 4 3 貸切露天風呂でエッチ 3 4 女性の逝かせ方 3 5 女の逝かせ方 3 6 不倫旅行の思い出 3 7 SとMの見分け方 2 8 別れの予兆 2 9 個室 露天風呂つき エッチ 2 10 俺と彼女と彼女の中身 愛欲比率 2 11 不倫旅行 京都 2 12 不倫 京都 旅行 2 13 Mの見分け方 2 14 わがままな私を守って 2 15 sとmの見分け方 2 16 SとMの見分け方 2 17 †††††††††††† 2 18 日帰り不倫旅行 1 19 気持ちいいよぉッ 1 20 男の逝かせ方 1 去年の今日 第645回「今年一年を一文字で表してください!」
「和」 の一文字につきます。 僕個人にとっては穏やかで和やかに過ぎた一年でした。 ありがとうございました・・・ 去年の今日 年齢詐称⑥<サッカー>根っこから…、年齢詐称など育成年代まで広がる腐敗―中国 2008/12/26 12:18 2008年12月、北京五輪というビッグイベントを迎え、中国サッカー界にとって2008年は希望の年となるはずだった。しかし開催国でありながら1勝もできず惨敗、ワールドカップ予選も最終予選にすら進めない惨憺たるありさまとなった。12月にはオマーン、イランに連敗、「史上最弱チーム」とまで呼ばれる状況となった。若い力による再生が望まれるところだが、11月13日付の網易の報道は中国サッカーの危機は少年世代をも蝕んでいることを伝えている。 94年に中国でプロサッカーリーグが発足して以来、一時は各地でサッカー専門学校が林立するなど大ブームとなったが、今ではそのほとんどが消滅、競技人口は中国全体でわずか1万3500人程度にまで縮小しているという。 この危機をもたらしたのは底辺の腐敗。多くのサッカー学校は安からぬ学費をとっており、10歳から18歳まで学校に所属すればその費用は30万元(約397万円)にも達する。もちろんプロは狭き門でこの高額な投資を回収できる見込みは限りなく少ない。さらにサッカー学校は卒業生の評価を上げようと年齢をごまかすケースも多い。 こうして実際よりも1、2年若い世代としてプレーした選手は成人後に凡庸な選手で終わることが多い。こうした腐敗が知れわたるにつれサッカーを志す子どもたちが減っているのが現状だ。あるサッカー協会関係者は「このままでは何十年かかっても中国サッカーが成功する見込みはない」と悲鳴をあげていた。(翻訳・編集/KT) 結果第一主義がこのようなことを招くと同時に、年齢詐称のようなインチキを「悪いこと」と考えない中国人の国民性にも問題があるのではないでしょうかね? 「勝てば官軍」じゃないですが、インチキをしてその時結果を出したところで、長い目で見ればその不正が自分の首を絞めることになる・・・ そんな簡単なことが、どうしてあの国の人たちにはわからないのでしょう? ただただ・・・そのあまりにも腐敗した国家体質にあきれるばかりですが・・・ 美談四川地震で生き埋めの女性、励まし続けた男性と結婚 2008/12/15(月) 22:48 四川大地震で104時間生き埋めになった女性が、発見から救出まで「僕たち、結婚しよう」などと18時間にわたって励まし続けたボーイフレンドと結婚したことが分かった。15日付四川新聞が伝えた。 ■年下男性が交際申し込み、「押しの一手」でついにOK 女性の名は賀晨曦さん。四川師範大学を卒業して、同省北川県で中国農業発展銀行に勤務していた。2年前に母校の卒業・在校生パーティーに出席した折、在学中でコンピューターを学ぶ4歳下の鄭広明さんと知り合った。鄭広明さんは一目で賀さんが好きになり交際を申し込んだが、年上であることを気にした賀さんは拒絶。しかし、鄭さんは「押しの一手」で申し込み続け、とうとうふたりはつきあうことになった。 鄭さんは就職をうまく決めることができず、卒業後は成都市で臨時雇いの仕事をすることになった。ふたりは遠距離恋愛を続ける仲だった。2008年5月12日、鄭さんはたまたま休暇をとって北川県に賀さんを訪ねていた。賀さんの部屋で帰りを待っていた午後2時21分、地震が発生した。 ■彼女はがれきの下で生きていた! 「僕たち結婚しよう」 賀さんの勤務していたビルは倒壊し、安否は不明だった。鄭さんは希望を捨てずに待ちつづけた。すると16日になり、救助隊ががれきの下に閉じ込められている賀さんを発見。生きていた。 しかし賀さんは足をはさまれており、助け出すことができない。余震で建物が再び倒壊する危険もあったが、鄭さんは救援隊が掘った穴に頭部を入れて、叫んだ。「僕たち結婚しよう! 式は中国式がいいかい? それとも洋式かい?」。賀さんは明らかに、生きることへの希望をかきたてられた様子だったという。 鄭さんの励ましは、それから18時間続いた。賀さんが救出されたのは、生き埋めになってから104時間後だった。 しかし鄭さんは手放しで喜ぶわけにはいかなかった。長時間にわたり足を圧迫されたため、賀さんには障害が残る可能性があると聞かされたからだ。結婚のことを自分に問いなおした。しかし、意思に変わりはなかった。生涯、彼女と添いとげる決意を確認した。 ■障害が残り、生活が厳しくても愛に変わりはない 賀さんは重慶市で治療を受けた。綿陽市の実家に戻ったのは8月。そして鄭さんは、結婚相手を自分の両親に紹介するため、賀さんを故郷の黒龍江省に連れて行った。賀さんは右足を切断していた。長時間の歩行ができない賀さんを、鄭さんは背負った。一言もぐちは言わず、ただ優しく賀さんを扱った。 ふたりが結婚の手続きをしたのは10月7日。生活に余裕はない。式もなければ花束もない、およそロマンティックではない結婚生活の始まりだったという。賀さんには右手の麻痺も残っていたが、徐々に回復しており、たいていの家事はこなせる。鄭さんは、毎日仕事に行く。ふたりは仲がよいが口喧嘩もする、ごく普通の夫婦だ。運命による残酷な試練も受けたが、ふたりは最も自然な結果に落ち着いたという。 陽気で冗談好きは、鄭さんの長所だ。「生き埋めの彼女を励まし続けた男性」ということで、マスコミにも取り上げられ、有名になった。そこで、ニヤリと笑って「おかしいなあ、何でファンからのラブレターが届かないんだろう」とつぶやく。賀さんはすかさず、お返しの「愛のパンチ」。夫の“浮気の虫”を封じるという。ふたりの生活には、いつも活気がある。 ■「がれきの下の約束」果たせる日が近づく ただ、鄭さんには気にしつづけていることがあった。結婚式を挙げていないことだ。賀さんが生き埋めになっているとき、鄭さんは洋式の結婚式を勧めた。「ウェディングドレスがきれいだよ」と。実は賀さんの最初の希望は「中国式にしたい」だった。鄭さんが勧めた結果、「じゃあ、結婚式は2回。最初は洋式、次は中国式」と答えた。鄭さんは「それに決まり。君の言うとおりにしよう」と約束したはずだった。 そんな時、北京のテレビ局から「結婚式をプレゼントしたい」との申し出があった。鄭さんらは、受けることにした。ふたりは14日、北京に旅立った。思いがけない形ではあったが、がれきの下でかわした約束は、何にもまして実現させなければならなかったからだ。(編集担当:如月隼人) これは本当に美談ですね!? 中国の話となると本当にあきれた話ばかりに目が行ってしまいがちな僕ですが・・・ この話には感動させられました。 いいなあ・・・ 純粋であることは・・・・ 去年の今日 |
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