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Author:海(♂) カテゴリー
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また一つ年をとって…昨日の誕生日でまた一つ年をとってしまいました… だから…というわけではありませんが、この方のこんな記事に共感してしまうのです。 中年になるのも、悪くない…「いつまでも若い」ことは、本当に素晴らしいですか? 深澤 真紀 私はもうすぐ42歳。立派な中年女性です。そしてしみじみ思うのです、「中年も悪くない」と。 これを言うと、同世代だけではなく上の世代からも下の世代からも「えっ、そうですか?」とか「無理してない?」と言われてしまうのです。今は女性どころか、男性もアンチエイジングに興味がある時代ですから。 「若さ」をありがたがる「若さ教」 かつては「若く見えますね」と言っても、喜ぶのは女性だけでした。男性に対して「若い」と言うことはけっしてほめ言葉ではなく、「貫禄がないってことか?」と思われることもあったのです。ところが今では、20代の男性に対して「若く見えるね」と言っても喜ばれるくらいです。 老若男女を問わず、多くの人々が「若さ」をありがたがり、「若さ」を素晴らしいと思う時代になったと思います。私は、この風潮を「若さ教」と呼んでいますが、いつまでも「若い」ことはそんなにいいことなのでしょうか? もちろん若いことは素晴らしいですし、若い頃にしかできないことはあります。私も若い頃には楽しいことも素晴らしいことも経験しました(若い時が楽しくなかったから、加齢を肯定しているわけではないですよ)。 しかし中年を過ぎても「いつまでも若くありたい」とか「若いことが素晴らしい」というのは、今の自分への否定感につながることにもなるかもしれません。 今回は、私より上の世代が読むと「まだ若いのに何を言ってるんだ」「もっと年を取らなければ分からないだろう」と思われるかもしれませんが、同世代や若い世代に向けて「中年も悪くない」「加齢で楽になることもあるし、面白いこともある」とお話ししたいと思います。 中年になって面白かったこと まず40歳を過ぎて感じたのは「平均寿命の半分を生きた」ことで、妙な安心感を持つようになったことです。今まで生きてきた40年ほどの記憶や経験があるわけですから、「何となく先が見えてきたな」と思えるのです。 そして自分に訪れる加齢を観察するのが面白いのです。 例えば、固有名詞を忘れるなんていうことはざらです。若い頃は自分より上の世代が話しているのを聞いて「この人たちはなぜ、『あれ』とか『それ』とか指示代名詞だけで会話をしているのか」と思っていたものですが、今や自分たちが指示代名詞だけで話が通じるようになってしまい、何だか面白いのです。 眼が悪くなってきたり、白髪が生えてきたり、肩や腰の変なところが痛くなったりしますが、「これが噂に聞いていた四十肩か、なるほど、腕が上がんないよ」ということが(大変ではあるんですが)、初めて自転車に乗れた時のような発見です。「できること」だけじゃなくて、「できなくなること」だって発見ですから。 そして「リーディンググラス(老眼鏡)は、どんなものを買おうかな」とか、「髪が真っ白になったらどういうふうにしようかな」と考えるのも、なかなか楽しいのです。 学生時代に修学旅行で訪れた時は、何が面白いのかさっぱり分からなかった神社仏閣も、今では年に何度も訪れるようになりました。盆栽の面白さも最近ちょっと分かってきました。 お茶の味の違いが分かってきて、お茶がおいしく入れられるようになってきたのも、よいものです。海苔や乾物の味の違いも分かるようになってきました。 また若い時には自意識過剰だったために、サービス業の人になかなか上手にお礼が言えなかったのですが、今では「ありがとうございます」とか「お世話になりました」と自然に言えるようになり、これも「中年になってよかった」と思えることの1つです。 いろいろなトラブルの処理の方法も、若い時よりはずいぶんうまくなりました。それらの経験を「自分をすり減らさないための人間関係メンテナンス術」としてまとめることもできました。 もちろん「加齢がいいことばかりだ」と言いたいわけではありません。失うものも多いですし、いろいろ大変なこともありますが、一方で楽になり、面白いこともあるということです。 意外なことを忘れたり忘れられなかったり 加齢で楽になったことといえば、いろいろな記憶も少しずつ忘れてしまうことです。「この悔しさだけは忘れない」とか「いつか復讐したい」とさえ思ったつらい出来事ですら、その細部を忘れてしまっているのです。私はけっこう執念深い方なのですが、そんな私ですらそういう経験を忘れてしまいます。 あるいは、過去の記憶をニュース映像のように感じることもあります。「こんなことが自分にあったなんて、何だか嘘みたいだな」と思ったりすることもあるのです。 一方で「年を取ればすべてが解決する」わけでもないらしいということも、少しずつ分かってきました。 「いつかは許せるだろう」「時間が忘れさせてくれるだろう」と思っていても、思いも寄らないことをいまだに許せなかったり、忘れられなかったりすることもあります。そういう感情も少しずつ薄れつつはあるのですが、許すというのは簡単ではないのですね。 加齢によって、必ずしも「人間ができてくる」わけではないのだなと思うのです。右肩上がりで人間ができてきて、右肩下がりに身体が老いていく、というだけでもないようです。 また若い頃に「あなたも年を取れば分かる」とか「私の年になれば分かる」と、よく言われたものです。 私も若い頃「あなたも私の年になれば分かる」とよく言われて、当時は「そうかなあ」と思っていました。そして今、その人の年を過ぎて、確かに分かることもありましたが、半分は分からないままでした。考えてみれば当たり前で、年齢以上に個人差が大きいこともあるわけですから。 つまり、年を取ることで自分より若い世代のことがすべて分かる、というわけではないのです。 自分と似たようなタイプであれば具体的なアドバイスができるけれど、自分に理解できないタイプであればうまいアドバイスはできないものです。当たり前のことですが、年を取ったところで、自分が分かる範囲でしかアドバイスできないものだと思うのですが、それが分かっていない人もけっこういて、「私の年になれば分かるよ」とつい言ってしまうようです。 加齢に絶望しすぎない、前向きにもとらえすぎない また、加齢によって若い世代をバカにする人も多いのですが、これはただの「悪い加齢」だと思うのです。 自分より若い世代を「バカだなあ」「役に立たないなあ」と思うのは簡単ですが、そこで相手を「かわいい」とでも思った方が、よほど自分の精神衛生にも役立ちます。少なくとも「それは違うよ」「こうした方がいいよ」とアドバイスをしないうちから、相手をバカにするのはやめておきましょう。 ここまで読んでもなお「それでも年を取るのは嫌だ」という気持ちがある人も多いでしょう。加齢の悩みは尽きないこと、加齢によって不自由なことが増えるのも分かりますが、加齢を嫌がるためにかえって、過剰に中年や老年の「嫌なイメージ」だけを固める人が多いように思います。でも、それでは疲れてしまいます。 私も、私1人だけが年を取り、私1人だけが体を壊していくのであればそれはちょっと嫌ですが、人類が皆経験してきた「老い」を私も経験するだけです。 そして「20代がよかった」とも「40代の今が一番輝いている」とも思いませんし、「60代になったらもっと輝こう」とも思いません。 その年齢なりの自分を生きていこうと思うだけですし、加齢に絶望もしすぎず、「若い者に負けずに、今までよりももっと輝こう」と過剰に前向きにとらえるつもりもありません。 加齢で自分に変化が起こることは、自分の歯車が回った、ということです。「今度はここにきたか」と思い、その変化の中で生きていけばいいのです。 自分が子供の頃… 今の僕の年齢の人を見ると「爺ちゃんだなぁ~!」と思いましたが、自分がその年になってみて「まだまだ若い!」と思っているなんて、本当に勝手かな?と思います。 でもそれは現実なんですよね? 年をとったからだめだ…なんてことはない… もちろんそういう部分がないわけではないけれど、逆に年をとったからこその部分ってあるんですよね!?^^ まあとにかく、自分の人生なのだし自分が生きたいようにこれからもがんばっていこう! そんなことを思う今日なのでした! 去年の今日 |
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歳を取ることに前向きになるってイイことですねw
俺もイイ歳の取り方をしたいものですw
っで イイ歳の取り方って??
後悔しないように生きていきますw
sandraparkさん!^^
おめでとメッセさんきゅです…
まあやり直しのきかない自分の人生ですから、後悔してみても始まらない。
だからいつも前向きに…
ですよね!?^^